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千葉地方裁判所 昭和60年(ワ)1404号 判決

原告 甲野花子

訴訟代理人弁護士 森井利和

同 鬼束忠則

被告 乙山春夫

〈ほか一名〉

両名訴訟代理人弁護士 渡邊隆

同 桜井健夫

主文

一  被告らは各自原告に対し金四二万八四四二円及び内金三八万八四四二円に対する昭和五八年七月一五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一申立て

一  原告

1  被告らは各自原告に対し金二八四六万六二三六円及び内金二五八八万六二三六円に対する昭和五八年七月一五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告ら

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  原告の請求原因

1  原告は、昭和五八年七月一四日午後三時ころ八千代市米本一三五九番地米本団地○街区○○号棟前公園(以下「公園」という。)において歩いていたところ、訴外乙山秋子(昭和五三年五月一三日生。以下「秋子」という。)が乗っていた自転車(以下「自転車」という。)に後方から衝突された(以下これを「事故」という。)。

2  原告は、事故当日午後三時ころ米本団地内の水泳プールから一九号棟の自宅へ向かい公園を横断していたところ、突然後方から腰部付近に強い衝撃を受け、その場に前方へうつ伏せの姿勢で転倒した。自転車のハンドル部分が原告の後部左腰部に衝突した。原告は、全身の痛みで暫くの間立ち上がることができなかった。原告は、その後自宅へ帰ったが、家事をすることもできず、横になって休んだ。

3  原告は、事故によって受傷し、次のとおり治療を受けた。

(一) 昭和五八年七月一五日佐藤医院で診察を受け、腰椎挫傷、左下腿挫傷等と診断されて、同日から昭和五九年三月一四日までの間に一〇〇日通院し、電気療法、服薬、湿布療法を受けた。

(二) 昭和五八年一〇月ころ寺島整形外科医院で診察を受け、腰部椎間板ヘルニア、左腓骨神経麻痺状態と診断されて、同年一一月ころまで約一箇月の間に一五日通院した。

(三) その後も頭痛、頸部痛、腰痛及び両下肢痛が続いたため、田中治療院で整体治療等を受けた。

(四) 昭和六〇年五月一日から同年六月一四日まで四五日社会保険船橋中央病院に入院し、同月一五日から同年八月二一日までの間に五日通院して、その後も通院した。

(五) 同年六月二〇日から心和会新八千代病院へ通院し、現在に至った。

4  原告は、事故により陳旧性頸椎損傷及び頸髄損傷を受け、次の後遺障害を被った。

(一) 脊髄障害による左足の弛緩性麻痺、両上下肢の疼痛等感覚異常

(二) 関節の運動可能領域が健側のそれの三分の一以下に制限される左足関節の機能障害

右の(一)は労災保険法施行規則別表等級第九級の七の二に該当し、(二)は同等級第一二級の七に該当して、併合第八級の後遺障害に該当する。

5  秋子は、自転車に乗りながら、前方の通行人の有無、状況を十分に確認しなかったため、事故を引き起こした。秋子は、当時五歳であったから、加害行為の責任を弁識するに足りる知能を具えていなかった。

被告らは、秋子の両親で親権者であるから、秋子を監督する義務を負っていた。したがって、被告らは、民法七一四条一項本文の規定により事故に基づく損害を賠償すべき責任がある。

6  原告は、事故により次の損害を被った。

(一) 入院中の諸雑費 四万五〇〇〇円

船橋中央病院への入院四五日につき、一日一〇〇〇円である。

(二) 休業損害 一〇二万二二三一円

原告は、事故当時三六歳で、主婦として家事に従事していた。昭和六〇年五月一日から六月一四日まで四五日入院し、昭和五八年七月一五日から昭和六〇年八月二一日までの間に一二〇日通院して、一六五日間労働することができず、その間の収入を失った。その額は、労働省の賃金構造基本統計調査昭和五八年第一巻第一表産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の三六歳の平均給与額を基準とすると、年収が二二六万一三〇〇円であるから、一六五日では一〇二万二二三一円となる。

(三) 逸失利益 一七九三万九〇〇五円

原告は、八級の後遺障害により労働能力を四五パーセント喪失し、症状が固定した昭和六〇年八月二一日から満六七歳に達するまで二九年間の家事労働により得るはずであった収入の四五パーセントを失った。

前記基本統計調査の三八歳の年収は二二六万一三〇〇円であり、中間利息をホフマン方式(係数一七・六二九)で控除して、右の症状固定日における現価を算出すると、一七九三万九〇〇五円となる。

(四) 慰謝料 六八八万円

原告は、事故による受傷のため入通院し、かつ、後遺障害によって肉体的精神的に苦痛を受けた。その慰謝料としては、入通院の分が一五八万円、後遺障害の分が五三〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用 二五八万円

被告らが損害金を支払わないので、原告は、弁護士森井利和と同鬼束忠則に本件訴訟を委任し、その費用を要した。被告らは、請求額の約一割に当たる二五八万円を負担すべきである。

7  そこで、原告は、被告ら各自に対し損害金二八四六万六二三六円及び弁護士費用を除いた内金二五八八万六二三六円に対する事故の後の昭和五八年七月一五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する原告の答弁

1  1の事実を認める。

2  2の事実を否認する。

秋子は、自転車に乗って遊んでいたところ、前方を左から右方へ歩いていた原告を認めたが、そのまま進行し、自転車を原告の右斜め後方に衝突させた。秋子は、その場に左側を下にして転倒したが、原告は、転倒せず、秋子の右前あたりに立っていた。

3  3の事実はしらない。

4  4の事実を否認する。

5  5のうち、被告らが秋子の両親で親権者である事実を認めるが、その余の事実を否認する。

6  6の事実は知らない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  原告主張の請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  事故の態様について考察する。

1  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  公園は、中央部に南北方向に約三四・五メートル、東西方向に約四六・五メートルの長方形の土のグランドがあり、その周囲に盛土をした部分があったり、樹木が植えられた部分があったりした。

公園の東方に米本団地内の道路があり、道路の東方に四街区○○号棟が建てられていた。

(二)  原告は、昭和二一年一二月一〇日生まれの主婦で、夫訴外太郎及び長男訴外一郎(事故当時五歳)と○○号棟の○階○○○号室に住んでいた。

(三)  被告乙山春夫(昭和三〇年一〇月二八日生)と被告乙山夏子(昭和三〇年四月二三日生)は、事故当時長女秋子、長男訴外冬夫(昭和五六年七月一七日生)と○○号棟の○階○○○号室に住んでいた。

(四)  秋子の乗っていた自転車は、車輪の直径三〇センチメートル、全長一メートル、ハンドルの高さ最高部七二センチメートル・最低部七〇センチメートル、ハンドルの幅四六センチメートル、サドルの高さ四三センチメートルのものであった。

秋子は、昭和五五年一一月祖父母から補助車の付いた自転車を買ってもらい、公園などでこれに乗っていたが、昭和五八年五月に補助車を取り外し、その一週間後あたりから独りで自転車に乗れるようになった。

(五)  秋子は、事故当時第二八千代幼稚園に通っていたが、昭和五八年六月二七日の測定では身長が一〇六・一センチメートル、体重が一八キログラムであった。

(六)  秋子は、事故当日午前一一時三〇分ころ幼稚園から帰り、昼食を済ませた後、同じ年中組の訴外丙川五郎及び訴外丁原松子と公園で自転車に乗りながら遊んでいた。

2  自転車が原告に衝突した状況は、判然としない。

(一)  原告の供述によれば、「原告は、グランドを西方から東方へ歩いていたところ、後方から接近した自転車のハンドルの角が原告の『左の腰の真中の尻の上あたり』に当たった。」というのであるが、被告の供述によれば、「秋子から聞いたところによると、『原告は、グランドを北方から南方へ歩いていたのであり、その右後ろあたりに自転車を当てた。』というのであって、原告からは、『後ろの方から右足のアキレス腱の上の方に自転車を当てられた。』と聞いた。」というのである。

(二)  また、原告の供述によれば、「原告は、衝突されて浮き上がるような感じを受け、前かがみに倒れて、膝と両手を地面に付き、四つんばいになった。全身が痛くて起き上がれず、五分くらいそのままにしていた。起き上がっても、腰が痛く、中腰になっただけであった。」というのであるが、被告の供述によれば、「秋子からは、『原告は、ちょっとつんのめったくらいだと思う。』と聞いたが、『原告が倒れた。』とは聞かなかった。」というのである。

ところで、被告の供述によれば、秋子は、自転車を原告に衝突させたとき、自転車に乗ったまま左側を下にして転倒し、左の肘の外側に擦り傷を負った事実を認めることができる。

(三)  原告及び被告の各供述によれば、被告夏子が、事故当日の午後五時ころ、公園のベンチに腰掛けて丁原松子及び丙川五郎の母らと話をしていたところ、原告がその場にやって来て、同被告に「秋子から自転車で当てられた。」と告げた事実を認めることができる。

また、被告の供述によれば、被告夏子は、事故を知って直ちに買物に行き、カルピスの詰合せを買い求めて、これをお見舞いの趣旨で原告に提供し、原告は、これを受け取った事実を認めることができる。

したがって、原告の「自宅に戻ると立っていられなかったので、直ちに寝た。動くと痛かったので、寝ていた。」との供述は、たやすく信用することができない。

(四)  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、昭和五八年七月一五日の午前中自転車に乗って八千代市米本二一六八番地一七所在の佐藤医院に行き、診療を受けた。

(2) 医師訴外佐藤襄二は、原告から「昨日右下腿に子供の自転車がぶつかって、大腿部と右側の側背部が痛い。歩けることは歩ける。」との説明を受け、ぶつかったと指示された部分、大腿部、右の足(踵から先の部分)を診察したが、踵から先の部分には特に顕著な病変が見当たらなかった。

圧痛と自発痛があったので、佐藤医師は、痛みの部分に消炎鎮痛剤の塗布と湿布をしたほか、消炎鎮痛剤の投薬をした。

(3) 原告は、同月一八日同医院に行き、佐藤医師に、「左の下腿にあざがある。そこが腫れている。痛みは軽くなっている。」と説明した。その部分は、左の脚(膝から踝までの間)の中間より下方、三分の一あたりのところであった。

腫れてあざになっていたので、佐藤医師は、「ここも当たったの。」と言い、その部分に湿布をした。

(4) 原告は、同月二一日同医院に薬を取りに行き、同月二二日にも湿布薬を取りに行って、診断書を書いてもらった。

佐藤医師は、その際病名を「右下腿右足挫傷、左下腿挫傷」と診断した。

(5) 原告は、同月二六日同医院に行き、「右足の痛みがまだある。」と説明したので、佐藤医師は、患部に超短波を掛け、温熱療法を施した。その結果は良かった。

(6) 原告は、同医院に、同月二七日、二九日、同年八月一日、三日、四日、五日、六日、八日、九日、一八日、一九日、二二日、二三日、二五日と続けて通院し、いずれも温熱療法を受けた。

(五)  したがって、右の(三)及び(四)に認定した事実に照らせば、(一)及び(二)に摘示した原告の各供述は、いずれもたやすく信用することができない。

すなわち、原告主張の請求原因2のうち、「原告が、米本団地内の水泳プールから○○号棟の自宅へ向かい公園を横断していた。」との事実は、原告の供述によりこれを認めることができるのであるが、その余の事実は、これを認めるに足りる証拠がない。

三  原告が治療を受けた状況について考察する。

1  二の2の(四)に認定したとおり、原告は、昭和五八年七月一五日から八月二五日までの間に一九日佐藤医院に通院して治療を受けた。

《証拠省略》によれば、原告は、昭和五八年八月二九日から昭和六〇年六月一九日までの間に八九日同医院に通院して治療を受けた事実を認めることができる。

《証拠省略》によれば、「佐藤医院の佐藤医師は、昭和六〇年九月一三日病名を『右下腿右足挫傷、左下腿挫傷、腰椎挫傷』とした診断書を作成し、これを原告に交付した。しかし、佐藤医師は、原告の病名を腰椎挫傷と診断したことがなく、そのための治療をしたこともなかった。それなのに病名に腰椎挫傷を加えたのは、原告から訴えられるまま、これを拒むことができなかったからであった。」事実を認めることができる。

2  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告夏子は、原告から「佐藤医院に通っても、余りはかばかしくない。」と言われたので、原告に八千代市大和田八六〇番地一二所在の寺島整形外科医院(医師訴外寺島市郎)で診療を受けることを勧め、原告も承諾したので、自家用車で原告を同医院に送迎し、その治療費も全額負担して、受診させた。

(二)  原告は、昭和五八年八月二七日から同年一一月一九日までの間に二四日同医院に通院して治療を受け、被告らは、その治療費として合計一万五三四〇円を支払った。

(三)  寺島医師は、昭和六〇年八月一日診断書を作成し、傷病名を「腰部椎間板ヘルニア」としたが、他覚症状及び検査結果として、「右足部の背屈が不十分で、左腓骨神経麻痺状態がある。ラセグー症状(右八五度、左七〇度)」と記載した。

しかし、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  寺島医師は、昭和六〇年四月三〇日船橋市海神六丁目一三番一〇号所在社会保険船橋中央病院の医師訴外斉藤隆に対し、「左下肢、特に左足部に背屈障害がある。左腓骨神経麻痺があるが、椎間板ヘルニアのように思われる。事故に関係があると、訴えが多い。精査を希望する。」との紹介状を書いて、原告を同病院に紹介した。

(二)  ラセグー症状が右八五度、左七〇度であれば、このような症状を椎間板ヘルニアと診断する症例はほとんどない。

したがって、寺島医師が腰部椎間板ヘルニアと診断したことについては、その根拠に合理性を欠いていたというほかない。

3  《証拠省略》によれば、原告は、昭和五八年一〇月三一日八千代市米本二二一八番地二六所在の米本接骨院(訴外佐藤良道)に行き、治療を受けた事実を認めることができる。

4  《証拠省略》によれば、原告は、昭和五八年一一月二一日から昭和五九年六月四日までの間に一四日、佐倉市上座六八番地所在の田中治療院に通院し、腰痛と下肢にかけての圧痛に対する施術治療を受けた事実を認めることができる。

5  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和五八年一二月九日船橋中央病院に行き、医師訴外国井光隆の診察を受けた。

(二)  原告は、国井医師に、「自転車が当たった部位は不明である。一一月中ころ腰から来ているのではと言われ、牽引を開始するも、症状が続くため来院した。」と説明した。

(三)  椎間板ヘルニアの検査は、左七〇度で陽性であった。膝蓋腱反射は正常であった。アキレス腱反射では、左が少し落ちていた。前脛骨筋の検査では、右がやや落ち、左がかなり落ちていた。足の親指の検査では、背屈で右がやや落ち、左がかなり落ちていて、底屈で左右ともやや落ちていた。左のS1領域が知覚鈍麻、痛覚鈍麻であった。腰椎の四方向レントゲン検査の結果、腰椎に側彎があったが、椎間板の隙間は正常であった。

(四)  国井医師は、外傷性のヘルニアの疑いがあるとし、入院して脊髄腔造影検査、筋電図検査等をした方が良い。」と勧めて、傷病名を「腰部椎間板障害」と診断した。

6  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告らは、原告の通院が長引いたので、心配になり、八千代市役所の法律相談を受けて、原告の症状につき正確な診断を求めることとした。原告もこれを承諾した。

(二)  原告は、昭和五九年一月二四日被告夏子の自家用車に乗って、千葉市矢作町八二七番地所在の千葉市立病院に行き、整形外科で診察を受けた。

医師は、腰部のレントゲン検査をして、「椎間板ヘルニアの症状はない。背骨が普通の人より曲がっている。自転車が衝突したために、そのように曲がったのではない。」などと説明した。医師は、原告に診断書の要否を問うたが、原告が「結構です。」と言ったので、診断書を作成しなかった。

(三)  被告らは、(二)の説明を聞いたので、決まりを着けようと考え、同日午後原告方を訪問して、被告春夫が、原告と夫太郎に対し、「千葉市立病院の医師が、『原告の症状と自転車の衝突との間には因果関係がないと思います。』ということであったので、これからの治療費等一切については、被告らが負担しないこととしてもらいたい。」と申し出た。原告は、その場で夫太郎とともに、「それで結構です。」と言い、これを承諾した。

(四)  原告は、同月二六日被告ら方を訪問して、被告夏子に対し、「被告らが田中治療院に支払った治療費を返還したいので、受け取ってもらいたい。」と言い、治療費相当分を菓子折りと一緒に差し出した。同被告は、菓子折りだけを受け取り、金銭は受け取らなかった。

(五)  米本団地では各棟から当番で棟委員が選出され、棟委員は一年間団地自治会の世話役を担当することになっていたが、原告は、被告夏子の後を継いで、同年四月から昭和六〇年三月まで○○号棟の半分の世帯の棟委員となり、その役目を果たした。

1  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、寺島医師の紹介で、昭和六〇年五月一日船橋中央病院に行き、斉藤医師の診察を受けた。原告は、検査を受けるために同日同病院に入院し、同年六月一四日まで四五日入院した。

(二)  研修医が、五月一日原告について反射、筋力、知覚の検査をした。反射の検査では、ワルテンベルグ反射で右がプラスになったが、左はマイナスで、ホフマン反射、バビンスキー反射では左右ともマイナスであり、クローンズも左右ともマイナスであって、マイナスは正常であった。椎間板ヘルニアの検査では左右とも八〇度で、正常であった。

筋力の検査では、股関節の屈曲で左が二で弱く、左足首を上にそらせる力が一、下げる力が二でいずれも弱く、左足の親指を伸ばし上げる力が一で落ちていた。

知覚の検査では、S1領域で痛覚が鈍くなっていた。

(三)  原告は、五月二日にも検査を受けたが、その際には、左股関節の屈曲が四となり、左足首を上にそらせる力が三となって、完全な正常値である五に近付いていた。

これによれば、器質的なものではあり得ないこととなり、斉藤医師は、「サイコー質、心理的な面が疑われる。できれば心理テストを施行したい。」と判断した。

(四)  通常の場合、神経学的に異常があると、異常の箇所に所見が出るのであるが、原告については、訴えることと、検査による筋力との間に一致しないところがあった。また、牽引によって、訴えが軽快した。そのため同病院の医師は、「検査をしても、異常が出ないのではないか。」と判断し、原告について精密検査を実施しなかった。

(五)  国井医師は、原告の傷病名を「腰痛症、左下肢麻痺、頸部椎間板障害」と診断し、保存療法を継続していたが、六月一四日退院に当たって佐藤医師に対し、「訴えが多彩で、神経学的な位置が一致せず、精神的な要素が強いため検査、手術の適応なしとし、保存療法を続けてきた。牽引が効果あり、今後貴院での牽引をお願いしたい。」との紹介状を書き、原告を佐藤医院に紹介した。

(六)  国井医師は、頸部椎間板障害と診断したが、それは原告が首が痛いと訴え、上下肢の力が弱いという症状があったので、牽引を行ったり、薬を投与したりするために、それに通るような病名を付けたことによるものであった。

もっとも、国井医師は、原告に「左足関節・左足母指に底背屈力の減弱があること」を認めていた。

8 《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和六〇年六月二〇日から八千代市米本二一六七番地所在心和会新八千代病院に通院し、医師訴外三村孝一の診察を受けた。

(二)  三村医師は、毎週木曜日の午後だけ同病院に勤務していたが、同年七月二五日原告から「診断書を書いてほしい。」と頼まれ、これに応じて、病名を「陳旧性頸椎損傷及び頸髄損傷」とした診断書を作成した。また、三村医師は、その診断書に「右の外傷後、両上下股の感覚異常(特に左側)、頸部痛、左坐骨神経痛、左腓骨神経麻痺等の症状があり、加療中である。」と記載した。

(三)  しかし、三村医師は、当時まだ原告の全体の状態を把握していなかったのであり、原告から「事故を境にして、その前と後では全く様子が変わってしまった。」と言われ、これを前提として右の診断書を作成した。

三村医師は、原告の説明から「事故の直後に入院すべき状態であった。」と推測したが、実際はそのような状態になっていなかった。

(四)  頸椎損傷、頸髄損傷という病名は、当該事故が発生した直後に診察を受けたというように、因果関係が明らかである場合に診断される病名であって、事故が二年前に発生していたという場合には、因果関係が明らかでないのであるから、通常右のような病名の診断がなされることはない。

頸髄損傷と診断した場合には、その患者を直ちに入院させるべきものである。

四  ところで、事故は、原告の主張するような態様で発生したのではないが、二の2の(四)及び三の1に認定した事実によれば、原告は、事故によって右下腿右挫傷及び左下腿挫傷を負ったと認めるのが相当である。

寺島医師は、昭和六〇年八月一日の診断書に傷病名を「腰部椎間板ヘルニア」とし、「右足部の背屈が不十分で、左腓骨神経麻痺状態がある。」と記載したが、三の1ないし8に認定した事実に照らしても、右の傷病が事故との間に相当因果関係があると認めるのは相当でない。

原告は、米本接骨院及び田中治療院に通院して施術治療を受けたが、その対象とされた病状が事故との間に相当因果関係のあるものであったとの事実を認めるに足りる証拠はない。

船橋中央病院(国井医師)は、原告の傷病名を昭和五八年一二月九日に「腰部椎間板障害」と、昭和六〇年五月一日以降に「腰痛症、左下肢麻痺、頸部椎間板障害」と診断したが、三の1ないし8に認定した事実に照らしても、右の傷病が事故との間に相当因果関係があると認めるのは相当でない。

新八千代病院(三村医師)は、昭和六〇年七月二五日の診断書に病名を「陳旧性頸椎損傷及び頸髄損傷」と記載したが、その診断には合理性がなかった。

原告は、事故によって請求原因3の傷害を被ったと主張するのであるが、以上に認定し説示したほか、右の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

なお、《証拠省略》によれば、原告は、昭和五七年春から昭和五八年五月まで、米本スポーツダンスサークルに加入し、阿蘇公民館において、柔軟体操及びジャズダンスをしていた事実を認めることができるのであるが、その事実があったことをもって、これを事故と傷害との間の相当因果関係を補強する事由に当たると見るのは相当でない。

五  原告は、請求原因4の後遺障害を被ったと主張するのであるが、三に認定し、四に説示したとおり、右の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

六  原告の被った損害について考察する。

1  入院中の諸雑費

事故との間に相当因果関係があると認めることができない。

2  休業損害

《証拠省略》によれば、佐藤医師は、昭和五八年七月二二日原告の傷害について、「全治まで同月一五日から二週間の見込み」と診断した事実を認めることができる。これに照らせば、通院により休業を余儀なくされた期間としては、一箇月の限度において、事故との間に相当因果関係があると認めるのが相当である。

原告の主張する年収額を採用し、その一二分の一に当たる一八万八四四二円の限度において認容するのが相当である。

3  逸失利益

原告主張の後遺障害を認めるに足りる証拠がない。

4  慰謝料

原告の受傷の程度、事故との間に相当因果関係があると認めることのできる通院期間その他の事情を考慮し、二〇万円の限度において認容するのが相当である。

5  弁護士費用

原告が原告主張の弁護士に本件訴訟を委任した事実は、記録上明らかであり、認容額その他の事情を考慮して、四万円の限度において認容するのが相当である。

七  《証拠省略》によれば、秋子は、原告が進路の前方を歩いていたのを認めながら、その動静を十分に確認しなかったため、事故を引き起こした事実を認めることができる。

秋子は、当時五歳二箇月であり、被告らは、その両親で親権者であったのであるから、被告らは、民法七一四条一項本文の規定により六の2、4及び5に認定した原告の損害を連帯して賠償すべき責任がある。

八  以上のとおりであるから、原告の請求は、被告は各自に対し損害金四二万八四四二円及び弁護士費用を除く内金三八万八四四二円に対する不法行為の後の昭和五八年七月一五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であり、これを認容すべきであるが、その余はいずれも不当であるから、これを棄却すべきである。

そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条ただし書を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(判事 加藤一隆)

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